サンプラザ前川くん
またの名を、前川 秀和(マエカワ ヒデカズ)
税理士(登録番号:128512)
前川秀和税理士事務所(東京都中野区中野4-1-1中野サンプラザ9F) 代表
ベッドルーム・ミュージックと呼ばれる音楽があります。
録音スタジオではなく、自宅のベッドルームで、小さな機材を使って作られた音楽。
世界を変えるようなヒットがいくつも生まれています。
コンピュータ
インターネット
最高です、時代は変わりました。
好きな場所に住んで、好きな仕事をできる、僕達はそんな時代に生きています。
ラップトップのPCを買って、ベッドルーム起業。
AppleだってGoogleだってAmazonだって、最初はガレージから始まりました。
日本ではあまり馴染みのないガレージ、僕達はベッドルームから始めよう。
まずは小さく始めてみよう。
茨城県水戸市出身、東京都中野区在住
URLにある「HMJ」とは私のイニシャルで、「ヒデカズ・マエカワ・ジャクソン」の略です。マイケル・ジャクソン好きだった中学生の頃、語感が似ているので自分のことをマエカワ・ジャクソンと言っていたのが始まりで、やがてインターネット時代が到来し、「HMJ」がハンドルネームとして定着したというわけです。
しかし、その後、中野サンプラザに事務所を構えた私は、サンプラザ前川くんと名乗りだしたのでした。
1973年6月19日生まれ(中野サンプラザは1973年6月1日オープン)
水戸第一高等学校、成城大学経済学部経済学科卒業
2児(長男、次男)の父
趣味:音楽、仮面ライダー
1995年よりMacユーザー
前川秀和税理士事務所について
クラウド会計など、各種インターネットサービスを活用した経理業務の効率化や、節税対策、予算管理、納税予測などを通して、お客様の夢への挑戦をサポートいたします。
お客様が好きなことに集中して取り組めるように、そして、その好きなことを続けていけるように、事業運営や税金に関する不安を取り除くことを使命としております。
freee認定アドバイザー、MFクラウド公認メンバー、弥生PAPパートナー
独立前の11年間の税理士事務所勤務時代には、法人・個人事業主を問わず、
- 飲食店業
- IT関連企業
- デザイン業
- 服飾関連
- 卸売業
- 画廊
- 旅館業
- 旅行業
- 学習塾
- 不動産業
- 内装業
- 造園業
- 建設業
など、様々なジャンルのクライアントを担当してきました。
職歴などについて
大学では美術部に所属しつつも、バンドを組み、ライブやレコーディングに励んでいました。
アルバム1枚、シングル1枚を残すも卒業前に解散。
その後に組んだバンド『pello』では、少年ナイフ主催のライブで渋谷クワトロのステージに立ったこともあります。
↑mosquito coast(モスキート・コースト)のLPと7inchシングル
大学卒業後
バンドを続けていくため、就職活動は一切せず、大学卒業後は、学習塾やコールセンター等で契約社員を続けていました。
コールセンターでは、某コンピュータメーカーやインターネットキャリアのバックオフィス業務に従事。
某コンピュータメーカーを担当していた頃は、オペレータとしてお客様対応の最前線にいたこともあります。
クレームにたくさん触れたことは、貴重な経験となりました。
その後、バックオフィス業務に異動となり、クレームから解放されたことに少しホッとしていました。
しかし、間接的にはクレーム対応は続きます。
ここでのオペレータと修理工場との板挟み状態を経験したことは、調整役としての自分を鍛える結果となりました。
また、ExcelやAccess、その他のデータベース管理ソフトに触れることができたことも、財産となりました。
その後、税理士を目指すべく、2年間の受験専念期間を経て、吉祥寺の税理士事務所に入社しました。
My History 〜私が税理士になるまで〜
私が税理士を目指し、勉強を始めたのは、2002年の秋頃だったと思います。
音楽が大好きで、バンド活動をしながらできる仕事を選んだつもりが、いつしか日々の生活に追われ、年齢を重ねていくことへの不安ばかりが増していきました。
今思うと当時の私なんて全然若かったと思うのですが、人生において「俺は若い」と思って過ごしたことは、一瞬たりともなかったので仕方ないのかも知れません。
なぜいきなり税理士を目指したのか?
それは、ただ単に手に職を付けたかったのかも知れませんし、ただ単に受験資格があったからなのかも知れませんし、両親が自営業だったため税理士という職業が身近にあったからなのかも知れませんし、公認会計士の勉強をしていた友人に触発されたからなのかも知れません。
いずれにせよ、税理士を目指し勉強していく中で、徐々にどっぷりとその勉強にハマっていきました。
大学受験のための勉強をサボりまくっていたあの頃を取り戻すべく、かなりの時間を税理士試験のための勉強に費やしたと思います。
税理士試験のための勉強は、スポーツの練習的要素が多分にあり、反復練習や暗記が必要であるため、練習時間をたっぷり確保する必要があります。
言い訳にはなりますが、人生におけるいくつかの節目や重要な出来事があったため、最後の1科目で数年足踏みはしてしまいましたが、5科目目を2013年に合格し、晴れて税理士になることができました。
その重要な出来事に関する知らせを聞いたのも、日曜日の丸一日を使って行われる専門学校での授業中のことでした。
あまりに何回も携帯電話が震えるので、授業中の教室を抜け出し、電話に出てみるとその報告だったのを覚えています。
簿記に驚く
29歳にして初めて簿記を学び、あることに気付き、とても驚いたことがあります。
それは、「企業は金儲けのことしか考えていない」ということです。
ちょっと言い方が悪かったかも知れません。
「企業の目的は利益を追求することである」の方が、正しいでしょうか。
そのことを前提として、簿記の問題は作られていました。
今思うと当たり前なのですが、アーティスト的思考しかない当時の私には、とても衝撃的な事実でした。
あまりにウブなバンドマンだった当時の私に説教してやりたいです。
また、複式簿記がよくできた仕組みであると気付いたことも、驚いたことの1つになります。
そして、独立へ
税理士の勉強をしていた間、試験勉強だけをしていたわけではありません。
税理士事務所に勤めていました。そちらには11年間お世話になりました。
居心地のいい職場でしたが、税理士を目指した理由のひとつに独立できる資格であったことと、サラリーマンにはなりたくないというロック的(??)なアティテュード、というより親が自営業だったためサラリーマン的生活に対して耐性がなかったせいか、独立したい意識はずっとありました。
そして、2016年に独立しました。
学生時代の思い出を少し
・小学生
映画
小学6年生の時の夢は、映画監督になることでした。
父親のビデオカメラを借り、クラスの男子全員集めて、映画を作ったりしていました。
スピルバーグやスタローンが映画製作において複数の役割を担っていたのにあこがれ、脚本、監督、撮影、編集、ときには出演など、全部自分でやっていました。
要するに、自分の趣味にみんなを付き合わせていたということでしょうか。
内容は、今振り返るとひどいもので、ほとんどの作品は闘いもの、たまにホラーものって感じです。
闘いものに関しては、必ずと言っていいほど、「①最初に主人公の仲間が悪者にさらわれ、②その事実を知った主人公は仲間を助けるためトレーニングして鍛え、③そして敵の陣地に乗り込む」というストーリーです。
随分あとになってその事実に気づいたのですが、数本作った作品のどれもがそのストーリー構成で、あきれます。
また、ストーリーの背景もその直前に観た映画に完全に影響されていて、あきれます。
ある3部作の3作目などは、その直前に観た『北斗の拳』の映画に感化されまくり、対立する拳法の流派の抗争みたいな内容になっていました。
(もちろん、仲間がさらわれて、トレーニングして、乗り込む、というストーリー展開は同じです。)
コンピュータ
ときはマイコンブーム。
その時期、コンピュータにもあこがれ、『ぴゅう太』や『PC8801 MKⅡ FR』といったマシンを手に入れました。
しかし、やっていたのは、ゲームと簡単なプログラミングくらいで、完全に宝の持ち腐れでした。
・中学生
当時結構多かった洋楽音楽番組が何よりも楽しみでした。
この頃は、マイケル・ジャクソン、ジョージ・マイケル、ビートルズに特にハマっていました。
あとは、卓球。
ミュージックビデオやライブ映像同様、ワルドナーVS江加良(ニューデリー世界大会)の決勝戦をビデオテープが擦り切れるほど観ていました。
頼まれやすい性格のせいでしょうか、卓球部キャプテンや生徒会長などを経験。
卓球部キャプテンなどは、私がいないところで決まっていて、知らされたときはとても驚きました。
・高校生
バンドがやりたくて軽音楽同好会に入部。
ビートルズのコピーバンドがやりたかったのですが、一緒にバンドを組んだ仲間を説得することができず、それは叶いませんでした。
部室で私が当然のごとくジョン・レノンのようにギターを高い位置でかまえると、「ギターの位置、高過ぎ!」ということで、友達はみんな大爆笑。
それが少しトラウマになってしまい、その後のギタリスト人生において、ずっと「ギターの位置」に悩むことに。
1年生のときの学園祭では、ヨーロッパの『ファイナル・カウントダウン』を演奏。(私はギターでした。)
それがまったく受けなかったため、その後のお好み焼き屋さんでの反省会において、当時のバンドブームに乗り、日本のバンドのコピーをすることを決定。
メンバーにキーボードがいたため、キーボードが入っているようなバンドを選んだ結果、ユニコーンや氷室京介のコピーバンドをやっていました。
3年生になると、ヘヴィーメタルに目覚め、スキッド・ロウのコピーバンドに方向転換。
髪を伸ばし始め、ライダースジャケットも買いました。
・大学生
浪人を経て大学に入学。
一人暮らしを開始。
東京にはレコード屋さん(CDショップ)がたくさんあって、とても興奮しました。
(今はストリーミングサービスがあるので、どこにいても興奮できます。)
バンドはやりたかったのですが、当時は軽音楽部に入ってバンドを組むことはカッコ悪いことと思っていました。
(今は別にどこでどう組もうがいいと思っていますが、この頃は何かドラマチックな出会いを欲していたのかも知れません。)
入学してしばらくフラフラしていたのですが、居場所を求めて美術部に入部。
そこでドラマチックな出会いがあり、バンド「モスキート・コースト」を結成。
下北沢でよくライブをしていました。
そして、このバンドでCDデビューも経験しました。
好きなもの
- 音楽、映画
- 仮面ライダー(特にドライブ、フォーゼ、ダブル、電王)
- IKEA、無印、桃太郎ジーンズ、サマソニなどで買うロックTシャツ
- Apple
- エシャロット、ネギ、ミョウガ、生野菜、納豆、牡蠣、白米
- 散歩
- 昼寝
- 南の島のビーチ
愛用のガジェット
- MacBook
- MacBook Air
- iPhoneX
- iMac
- Kindle Fire HD 8
- Kindle Paperwhite
- Bose QuietComfort 35
- SHURE SE215 Special Edition
- Casio Databank
好きなミュージシャン
- at the drive-in
- 星野源
- yo la tengo
- Pavement
- Built to spill
- Superchunk
- Velvet Underground
- weezer
- New found glory
- Beatles
- Strokes
- Flaming lips
使用ギター
- Fender Jaguar
- Gibson J-45
- Fender Mustang
- Grecoのバイオリンベース
おすすめのレストラン
- なかよし
- 大忍
- 東京油そば本舗
- 丸山
- Woof Curry
- カッパ
行ったことがある国や地域
- ニュージランド(初めての海外)
- グアム(ファストフードのドリンク飲み放題。タコベル。)
- 中国(北京。小籠包。四川料理が辛くて驚く。)
- インド(衝撃。シタール購入、持ち帰るの大変だった。)
- イギリス(ロンドン。Mogwai主催のオールトゥモローズパーティ。)
- モルディブ(クラブメッド)
- シンガポール(空港がすごい)
- マレーシア(クラブメッド)
- タイ(プーケット、クラブメッド)
- 韓国(ソウル。友だちの結婚式。)
- 北海道(松山千春)
- 青森(港)
- 盛岡(わんこそば。東北新幹線開通の年。)
- 秋田
- 仙台(牛タン。弟が学生時代に住んでいた。)
- 宇都宮(餃子が美味しい)
- 日光(遠足)
- 那須(サファリパーク)
- 熱海
- 箱根(ジョン・レノン、ヨーコ・オノ、ショーン・レノン)
- 和歌山(南紀白浜)
- 大阪(梅田のネギ沢山の立ち食いたこ焼き。USJ。)
- 奈良(修学旅行)
- 京都(修学旅行)
- 広島
- 神戸
- 徳島(阿波踊り)
- うどん県(3件はしご)
- 萩(湯呑み購入)
- 博多(妻の親戚。B級グルメが最高。)
- 長崎(妻の親戚。魚が美味い。)
- 沖縄(大好き。行きたい、何度でも。ルートビア。)
- 久米島(台風)
- 奄美大島(土盛海岸。行きたい、何度でも。)
- 石垣島(クラブメッド)
- 新潟(後輩。日本酒。)
- 猪苗代
- 草津
- 別府(赤い池。猿が怖かった6歳の夏。)
※首都圏や自分の出身地周辺は除きました。
住んだことがある場所
- 茨城県水戸市
- 東京都東久留米市
- 東京都世田谷区代田(世田谷代田駅、新代田駅)
- 東京都狛江市(和泉多摩川駅)
- 東京都杉並区永福(西永福駅)
- 東京都中野区弥生町(方南町駅)
よく老けて見られていたエピソード
突然ではございますが、学生時代によく老けて見られていたエピソードを。
エピソード1
中2か中3のときだったと思います、丸井に洋服を買いに行ったときのことです。
お会計時、話の流れで私が中学生だと言うと、店員さん(女性)は後ろにのけぞりながら大きな声を出して驚いていました。
大学生だと思っていたようです。
エピソード2
高校時代、学校が終わってから床屋さんに行くと必ずこう聞かれました。
「今日はお仕事お休みですか?」
そのたびに、「あ、高校生です」と答えていました。
このやり取りのパターンは大学生になっても続くこととなります。
完結編
そしていつの間にか見た目も年齢に追いつき、今は年齢より老けて見られることはなくなったと自分では思っています。